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礼拝メッセージ
2009年6月28日
「神様には何でもできる・ではなぜ」
マルコの福音書 5:21-43
二つの奇跡
今日の聖書箇所には二つの奇跡が書かれています。一つは何年も苦しんでいた病が、イエスの服に触っただけで、一瞬にして癒されたという奇跡です。この奇跡を受けた女性はから学べることは、「癒してくれる」と信じて出て行ったことです。私たちの多くの時に、神様に期待することさえできないほどに信仰がなくなってしまうことがあります。期待しつづける信仰を教えてくれます。
もう一つの奇跡は、会堂長をしている人の娘が死んでしまったけれど、イエスがその娘を生き返らせるというものです。十字架での死と予告通りの復活によって命をも支配することが分かりますが、ここでもイエスが命をも支配することが分かりました。
ひれ伏す信仰
22節と33節をには、それぞれの人がイエスの前にひれ伏していることが分かります。ひれ伏すというのは、万国共通の称える、あるいは恐れ入りますという思いを表す行為のようです。神様に対するそのような思いを私たちは持っているでしょうか。
信仰のある者を祝福する神様
この二つの奇跡に出てくる人たちのように苦しんでいた人はが当時たくさんいたと思いますが、奇跡的に癒された人ばかりではありません。イエスの所にやってきた人が癒されました。きっと癒されると信じてやってきた人が癒されました。私たちに大切なものは、信仰と出会いです。もし信じていても、会いに行かなくては行けなかったようです。現在の私たちは肉体をもっとイエスに会うことはできませんが、聖霊によって神様を知り、ここにいる神様として語りかけることができます。
37節
イエスは多くの時に三人の弟子だけを連れて行きます。この三人がどのように特別だったのかが明確に書かれている所はないのですが、おそらくこの三人の信仰をイエスが喜んでいたのではないかと思われます。マルコ8章27-30節参照。信仰を持っている者は、奇跡を体験して、さらに信仰が与えられていきます。
全ての祈りが応えられるのか
神様を信じるようになって1年以上の時が経てば、祈って応えられたこと、祈っても応えられなかったことが幾つかあると思います。祈っても応えられなかったことに関しても、神様が聞いてくださって、神様のみ心を行ってくださっていると考えるならば、応えられたと言えます。もしかしてこの事に関しては、奇跡が与えられるかもしれないと期待し続けることはいいことでしょうか。これも時と場合によって違うと思います。確かに神様は何でもできる方ですから、私たちは期待し続けることができますし、期待し続ける信仰を神様も喜んでいます。しかし、与えられている状況を喜ぶことができるのも、また信仰によるものです。神様によってこの状況が与えられていると信じることができるならば、それ以上奇跡を求めなくてもよくなります。これも信仰によるものです。Ⅱコリント12章7-10節参照。 |