礼拝メッセージ
2006年3月19日

「福音の力」
コリント人への手紙 第一 1章22-25節

この手紙を書いた使徒パウロは何度か「神様の力」ということに触れていますので、今回はこの聖書箇所にとどまらず、神の力について学びたいと思います。十字架でおきた出来事は、一見イエスの力とは程遠いものに見えます。癒し、悪霊追い出し、その他の奇跡が力を現わしているのは、分りやすいのですが、十字架が一番の力となるのはなぜでしょう。

ローマ1章16節
福音とは、イエスの十字架の死と復活によって与えられた約束のことです。この約束は全ての人を救う神の力だと言っています。

コロサイ2章14-15節
ここでは福音によって私達は悪の力から解放される約束が書かれています。私達は肉の欲の奴隷になっていたり、サタンの支配にあったりしています。私達は最終的には神様の前に立たされた時に、サタンから「こいつも悪いことやっていますよ」と訴えられるはずが、その訴えを全て神様が十字架にかけてくれたことが書かれています。ローマ8章33節でも同じことが言われています。イエスを信じる人を訴えることができる者はいないというのが、大切な約束です。そして、これが神様の力です。

私達は十字架を見てどう思うのか(第一コリント1章18節)
十字架に架けられるイエスを見ていた人たちの中には、侮辱する者、あざ笑う者、満足感をもって喜んでいる人がいました。この人たちにとってはあの十字架のできごとは愚かなことでしょう。しかし、その死が自分のためだと理解した者にとっては神様の力です。では、どうしたらこの神様の力を理解できるのでしょうか。

私達の目が閉ざされている(第二コリント4章4節、第一コリント2章14節)
この世の神とは、サタンのことを言っています。サタンが人の思いをくらませて、真実の神様の栄光の光を見られないようにしています。もう一つは私達の生まれながらの性質が神様を理解できないようにしています。私達はこの二つの問題を解決しなくては神様の力を体験できないことになります。

私達が神様の力を信じたことによってサタンの惑わしから解放されるのか、神様の力が及ぶから私たちが解放されて信じることができるのか、どちらが先か私には分かりません。両方の部分があると思います。いずれにしても神様との関係を築くことによって、神様の約束が明らかにされてくると言えるでしょう。

今日の聖書箇所の22節では、「召された者」という言葉あります。私達全てが実は招待を受けていると言えますが、ここではその招待を受け入れた者という意味で使われています。私達が発見した真理ではなくて、神様によって与えられたものだと理解することが大切です。誰もイエスによって救われたことを誇ることはできません。

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