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礼拝メッセージ
2005年8月28日
「教会は何の上に」
マタイの福音書 16章13-20節
聖書箇所の説明
イエス様がこの地上で公に宣教活動をしたのは約3年と言われています。この宣教期間の最後に十字架に架かり、三日目に復活しました。今日の聖書箇所はこの宣教期間の終盤を迎えたところです。弟子たちは、それぞれ2年以上はイエス様のもとにいたことになります。もともと、この人は聖書で約束されている救い主かもと思って付いてきたのですが、いよいよそのことに確信を持つようになっていました。そして、そのことについてイエス様が弟子たちに、はっきりと聞かれたのです。
この岩(信仰)の上に
ペテロの答えは完璧なものでした。他の神々とは違い「生ける神」であり、聖書に約束されている救い主だと言ったのです。このことは、人の能力によって出てことではなくて、神様によって明らかにされたものだとイエス様は言いました。今の時代もこのことは変わりません。私達の能力によって神様を理解できるものではなく、神様によって教えられるものです。私達は神様の前に素直になっているでしょうか。この答えに対して、イエス様はその信仰の上に教会を建てると言いました。ここをペテロ個人に与えられたととるよりも、この信仰を持った人たちに与えられたと理解する方が妥当だと思います。(参照マタイ18:18)
天の御国の鍵(聖書に基づいた教理と聖書そのもの)
「つなぐ」、「解かれる」という聖書用語がでてきますが、これはユダヤ人の中で聖書の先生達が、「許可したり禁止」したりすることを現わしている言葉です。つまり、弟子たちが神様の教えを教える権威を与えられたことになります。今の時代で言うと、私達に与えられている聖書に基づいて与えられたキリスト教の教理と、聖書そのものを神様から学んだ者がこの鍵を持っていると言えるでしょう。ちなみに、この言葉を言われた瞬間からペテロはこの鍵を持ったわけではないということが、続きを読むと明らかです。この約束はイエス様の復活後に成就しています。
21-28節
十字架の死と復活の予告
イエス様はご自分を救い主だと弟子たちが確信できるようになってから、これから十字架に架かり死に、三日目に復活することを予告しました。この予告を十字架に架かる前にもう3回しています。このことを通して、あの悲惨な死が偶然のものではなく、神様の計画のもとであり、そのことを通して人の罪のあがないになったことを教えています。
キリストについていく者
キリストについていく者は、おのおの十字架を背負うようにと言っています。これは自分の命のことを言っています。自分の肉の思いを捨てて、神様に従って来なさいということです。
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