礼拝メッセージ
2004年2月29日

「イエス様が受けた誘惑」
ルカの福音書4章1-13節

  今年はこの前の水曜日、2月25日から受難節が始まりました。受難節はイエス様が十字架に架かり苦しみを受けたことを覚える期間です。4月の11日のイースターの日までが受難節です。この受難節の間の日曜日では、イエス様の公生涯と呼ばれる期間について振り返りたいと思います。イエス様が洗礼を受けてから、天に昇るまでの間を公生涯と呼びます。この間にイエス様は救い主としての働きをしました。

宣教への準備期間

  イエス様は洗礼を受けてから、40日間荒野で断食していました。聖霊が鳩のように降ってきたので、すぐに働きに取り掛かってもいいように見えますが、その聖霊に導かれて荒野に行きました。この時に悪魔から誘惑を受けました。これはイエス様の宣教への準備期間でした。聖書を読んでいると、大きな働きをする者は、その前に苦難の時を経ています。神様は愛する者に苦難の時を与えます。試みの時を経て人は成長しています。

悪魔の誘惑

  1. 肉体的な欲求、食欲につけこまれました。イエス様の答えは「人はパンだけで生きるのではない」という旧約聖書の申命記8章3節にある言葉です。この言葉の続きはこうです。「人は主の口からでるすべてのもので生きる」。この言葉から分ることは、食べ物も大切ですが、それよりも神様の言葉が大切ということです。

  2. この世の権威と栄誉を与える代わりに、悪魔を崇拝するように言われました。イエス様の答えは「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい」という申命記6章13節の言葉でした。

  3. 悪魔は聖書の言葉を使って神様を試してみてはどうかと、イエス様を誘惑しました。自分には超人的な力があるかどうか試してみろと言われたのですが、イエス様の答えは、「あなたの神である主を試みてはならない」という申命記6章16節の言葉でした。

3番目の誘惑についての説明

  「私は真面目に生きてきた人間だから、神様は・・・してくれるはず。」「私はクリスチャンだから、神様は・・・してくれるはず。」「この教会はキリストの教会だから、神様は・・・してくれるはず。」・・・の部分が本当にまともな事を言っていればいいのですが、時々「そんなこと聖書に本当に約束されているのか?それは、自分の欲求が先立った考え方ではないか?」と疑問に思うことを言ってしまうことがあります。自分は選ばれた人間、祝福された人間ということに誇りを持っていて、自己中心的になってしまった願いも当然神様がかなえてくれると思ってしまうことがあります。神様にはご自身の計画があります。私たちはその計画を受け入れることができるでしょうか。悪魔はイエス様に「あなたは普通ではない神の子だから、飛び降りても大丈夫でしょう。」という風に誘惑しました。

苦難の道へ

  イエス様は宣教活動の最終地点が十字架に架かり死ぬことを、この時点ですでに知っていたはずですが、この誘惑に負けませんでした。この時点でイエス様の前に分かれ道が用意されていたと言えるでしょう。一つの道は、色々な大変なことがあって、最後は十字架に架かり死ぬことです。もう一つの道は、食べて飲んで楽しんで、この世の富と権力を得られるという道です。イエス様は神様の性質をもつお方であったと同時に、完全にこの地上の肉体を持った人間でもあったので、誘惑になっていました。そんな中でイエス様が選んだ道は苦難の道でした。なぜこちらを選んだかを簡単に説明するならば、父なる神への愛と、私たちへの愛のためです。自分の楽しみよりも、私達に命を与えるために、苦難の道を行くことを選んでくれました。

どうしてこの誘惑を乗り越えることができたか

  1. 聖書の言葉を正しく理解していた。悪魔も聖書の言葉を使っていましたが、イエス様は正しく理解していたので、だまされませんでした。

  2. 神様を第一にするという信仰を持っていた。自分の欲求を満たすことも時には必要なことではあるけれど、それよりも大切なことがある。それは、神様を第一にするということです。

  3. 神様を礼拝することによって得られる豊かさを知っていた。聖霊に満たされていました。

New York Japanese Church
ニューヨーク日本語教会
P.O.Box 641, Hartsdale, NY 10530
電話: 914-902-0300 (代表会員)
メール

© 1997-2026 New York Japanese Church. All rights reserved.a


Jaspella Gospel Guide

Site hosted by ShowGain.TV